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モチーフはR360クーペ、マツダ100周年記念車は全車種に展開…2021年3月31日までオーダー受付

  • 《写真提供 マツダ》
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  • 《写真素材作成 内田俊一》
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マツダは創立100周年を記念し、特別記念車を全ラインナップに設定。そのモチーフとなったのは1960年にデビューした『R360クーペ』だった。

◆SKYACTIVにもつながるマツダを象徴するクルマ

100周年特別記念車は特徴的なカラーコーディネーションでまとめられており、そのモチーフとなったのは『R360クーペ』だ。戦後初めてクーペと名乗ったクルマであり、また、マツダデザインのけん引役となるボディタイプがクーペであることから選ばれた。そのデザインは嘱託デザイナーだった小杉二郎、そして後に『コスモスポーツ』を生み出す小林平治がタッグを組んでデザインしたもの。因みに小林は当時入社2年目だったという。

マツダデザイン本部ブランドスタイル統括部チーフデザイナーの諌山慎一さんはこのR360クーペについて、「技術的にも当時はまだ珍しかったV型2気筒4サイクルエンジンやオートマチックなどチャレンジングな技術を搭載しており、いまのSKYACTIVにもつながるマツダのクルマづくりを象徴する記念すべき最初の1台」とエポックメイキングなクルマだったと紹介。

◆目が輝いていて大抜擢

今回100周年記念車のデザインを担当したのは、担当した当時入社2年目の同社デザイン本部プロダクションデザインスタジオカラー&トリムデザインGの村上佳央さんだ。「100周年という記念すべきタイミングでこのプロジェクトに関わることができ、本当に光栄だった。その反面結構プレッシャーもあったが、やるからには徹底的にこだわりを詰めて、特別感のある記念車にしようと思った」とその意気込みを語る。

入社2年目のデザイナーを登用したことについて同社デザイン本部副本部長の中山雅さんは、「まさに大抜擢! 最も大きな理由は彼女が非常に優秀だからだ」とコメント。さらに村上さんはカラーマテリアルの担当であることから、「100周年記念車もマテリアルを変更することが大きなポイントだったので、カラーデザイナーで非常に優秀で、目が輝いているメンバーを選んだ」とのことだった。

さて、この100周年記念車の企画に関しては、「デザイナーのみならず若手の社員によるタスクチームから、様々な100周年記念車の企画が提案された。その中にクルマをオマージュしたものもあり、そこにR360クーペもあった」と経緯を話す。中山さんは、「たまたま私がその企画をピックアップする担当だったので、“文化”の匂いがするという意味でR360クーペにピピッときた。そこでこの企画をピックアップしてそれを改めてまた若いデザイナーにお願いした」と語る。

「若い人のマツダに対する感覚は、我々とはもしかしたら違うところがあるかもしれない。そこで随分私も勉強した。その違いがある中でもR360クーペを出してくれたのはちょっと嬉しかった」と中山さん。そのうえで、「仕上げていくに際しては我々のような比較的年配のおじさんと若い人間がコラボしたほうが、100年の歴史を語るうえでは良いのではないか。若い人だけでもダメかもしれないし、おじさん世代だけでも多分ダメ。特に100年の感謝を示すことと、これからの100年への誓いが今回の大きなテーマなので、そういう意味でも若い人にフレッシュな感覚でやってもらった」と説明した。

◆残っていた資料

担当した村上さんは100周年記念車を担当するにあたり、「過去の写真を探し、そこで目に留まったのがR360の写真だった」という。「白いボディに鮮やかなマロンルージュカラーのルーフ。そしてルーフと同じ色に統一されたインテリアでコーディネートされていて、大胆でキャッチーで素敵だった」とそのときの感想を話す。さらにより詳しく調べたいと倉庫の中を探したところ、「当時の古い資料がまだ残っており、インテリアの配色図は赤に塗られ、全て手書きできれいに清書されていた。色を設定するときも色名が載っているページを見ながら決めた」と貴重な資料が参考になったことを明かす。

このときのアイディアがどのように記念車につながったのか。村上さんは、「オマージュといってもただ真似をするのではなく、いまのクルマに似合うような素材感と配色にした。具体的には、R360クーペの華やかさをいまのマツダ車に似合うように大人っぽさや上質さを加えたいと考えた」とコメント。

そこで目を付けたのがバーガンディだ。「このバーガンディを基調とした空間にすっきりとした白のインパネ。そして真っ白なボディカラーとすぐにイメージが湧いた」と村上さん。因みにR360クーペで使われていた黄味を帯びた白のボディカラーは“アルペンホワイト”という名称だ。村上さんはそこから想像するに、「当時の量産技術では白の再現にも限界があったのではないか。そこからイメージし、100周年記念車ではスノーフレイクホワイトパールマイカの採用に至った」という。

中山さんによると、このバーガンディは「『マツダ3』の内装から採用したもので、フランスのブルゴーニュ地方で作られるワインの名前が由来。それと同じ色を使い、名前もバーガンディとした」。さらに、「R360クーペの内装色もバーガンディという名前ではないが、非常に近い色だったので、そのままマツダ3の色を全車種にチューニングして採用した」と説明した。

特別感の演出を図るためフロアマットにも手が加えられた。村上さんは、「一般的な黒のフロアとは違う華やかな空間を演出。足元の色を変えるだけでかなり印象が違って見え、このフロアマットが一番のこだわりポイント」とのことだった。

さらにヘッドレストにもエンボス加工でロゴが入れられた。「丁寧な仕事で皆様に感謝を伝えたいと思い、実際に量産検討では真鍮型を使って細かいところまで検討した」と村上さん。具体的には、「革の知識に精通しているハードモデラーに相談に乗ってもらい、革の質感を残しつつエンブレムがきれいに見えるよう、丁寧な質感のコントロールし、サンプルを使いながら自信を深めていった」と完成度に自信を見せる。

そしてキーフォブにもスペシャルなロゴが刻印された。村上さんは、「お客様の一番身近にあるキーフォブとその化粧箱にも今回特別な仕様になっている。納車はお客様にとって特別なイベント。そこで、ディーラーで鍵を受け取る情景を浮かべながら、より特別感を味わってもらいたいという気持ちでデザインした」とコメントした。

そのほかの特徴として諌山さんは、「エクステリアではフェンダーバッジ、ホイールキャップで記念車ならではの演出をし、特別感にこだわって創り込みを行った。ホイールキャップには100周年記念の社章と同じモチーフを取り入れ、白いボディの足元を彩る品の良いアクセントになっている」と述べた。

◆オーダー期間を定めて

今回発売された100周年記念車は、「いずれのクルマもLパッケージというグレードに11万円プラスした仕様が基本」とはマツダ商品本部本部長の猿渡健一郎さんの弁。しかし、全ての排気量とエンジンにこの特別仕様車を設定しているので、Lパッケージがないクルマもある。その場合は、「Lパッケージ仕様に(装備を調整)したうえで特別仕様車を設定するので、本来の車両価格からは40万円から50万円高い車種もある」とのこと。

販売期間は、マツダ初の試みとして台数、販売期間限定ではなく、オーダー期間を4月3日から来年の3月31日までの1年間オーダーを受け付ける。これは、「クルマを買い替えるタイミングは必ずしもある期間には限られない。今回はいままでマツダを支えてくれたお客様をはじめとした皆様に感謝の意を示したいという気持ちなので、あくまでもお客様が買いやすい、オーダーをしやすいことを踏まえ、1年というオーダー期間にした」と説明。

従って「白という限定色や室内もバンガーディなので、かなり好みにも差が出てくるだろう。じっくりと考え共感してもらい、実車を見て欲しいと思われた方々に是非購入してもらいたいので、予定台数も設けなかった」とした。

◆文化を創る

100周年を迎え中山さんは、「私の父は原爆が投下されて数日後くらいに広島の地を訪れたという。東洋工業は原爆が投下されてすぐに工場を復帰させたというそのときの話から、東洋工業の心意気を感じて一番心に残っている」と思い出を語る。

そして、R360クーペの解説の中に、「人々の暮らしを豊かにしたいという言葉がある。戦後はもっぱら物資を供給するためにトラックを作り、人々の心を豊かにした。このR360クーペは物資だけではなく文化的な豊かさをこのクルマが初めて提供したのではないか。晴海で行われた自動車ショーでマツダが初めて商用車館ではなく乗用車館に展示したのがこのR360クーペだ。個人的には文化という言葉が大好きなのだが、マツダにとって歴史を塗り替えたのがこのR360クーペ」と話す。

そして、「マツダの100年の歴史と、これからの100年の誓いを込めた100周年記念車でR360クーペをリスペクトできたということは、私個人としてももう一度、マツダが自動車文化に貢献するために存在するブランドだということを、自分に言い聞かせ、またこれを今後の100年の誓いにしたい。そういう思いでこの100周年記念車を企画した」とその思いを語った。